浦安市郷土博物館でアオギスに出会う(20015年)

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414日、Y新聞の夕刊に『べか』舟浮かぶ昭和の漁師町のタイトルで浦安

郷土博物館の記事が大きく掲載されていた。確か山本周五郎の小説『青べ

か物語』で船宿浦安『吉野屋』の代目店主 吉野長太郎氏がモデルとして書

かれたものと記憶している。それと以前この郷土博物館でアオギスが見られ

たと記憶していて、もしかしたらと期待を胸に翌415日(水)強風の中、

土博物館に出かけた。浦安の漁師町、貝むきや海苔等を扱う昔懐かしい町

の匂いを思い出し古い木造の家並みやべか舟等を見学、その後いました、地

階の水槽にアオギスが泳いでいました。じっくりと見ようとしましたが

人影に驚いたのか水槽の奥に隠れてしまい正面にはなかなか姿を現さない。

諦めて階の大水槽へ 、上の方を鰯やサッパ、ボラ等が泳いでいる。底の方

を見るとアオギスが何匹か確りと泳いでいる。アオギスのパネルもあり間違

いない。見た感想はシロギスよりもスリムで側線部分にある背骨部分が黒っ

ぽく見え、それと口先がシロギスよりも細長く尖っているかな。感激しなが

ら見入り時間が経つのも忘れる。このアオギスは豊前海曽根干潟で捕り『財

団法人海洋生物環境研究所』が飼育、人口孵化に成功。育ったアオギスの里

親先の1つとして浦安市郷土博物館が譲り受けたもの。アオギスは東京湾で

は絶滅した魚で昔は浦安の干潟や洲で脚立のアオギス釣りが出来た。今回は

泳ぐ姿を撮る事が出来た事と貴重な書籍『平成13年度 回特別展 アオギ

スがいた海』と『浦安市郷土博物館 調査報告 アオギスがいた海』(

編集・発行浦安市郷土博物館)の2冊を購入し愛読。江戸時代から始まった脚

立のアオギス釣りはシロギス釣りよりも『魚信から合せ』が難しく数も中々

上がらなかったようだが型のわりには引きが強烈で面白い釣りの様だ、また

前夜から宿泊、早朝からの釣りで費用も結構かかったようだ。この本を読み

ながら干潟や洲の大切さを実感している。一度アオギスを釣ってみたかった

なぁ。

 

博物館内の昔の船宿にアオギスの魚拓(13寸)があり、そこに地元の人達

がいて色々とお話を聞く事が出来ました。私のうろ覚えな記憶と照らし合せ

て見るとそれほど間違いではなかったようだ。そして色々と思いだしました。

 

《回想録》 

1935年頃 浦安と言えば漁師町、独特の雰囲気があったが、一歩外れと田

ぼがあり側に用水路(ホソ)が流れていて真鮒が釣れた。それと池も幾

かあってその中のつで父と私と近所の人で午後から鰻ねらいで釣りし、

私が天然ものをゲット(鰻は養殖の黒い鰻をイメージ)したが太い体丸く

して道糸に巻き付いた。色合いが黄色みを帯びていて薄気味悪かったが脂が

乗っていて味は美味かった。それと海との間が塞がってしまい『真水だけの

でもハゼが釣れるんだよなぁ』と父が言っていた。汽水域の境川でれた

生きているハゼを10匹ほど金魚鉢に入れて置くとバタバタと2日ほど死ん

でしまうが最後の2匹ほどは金魚と一緒にずーっと生きていた。今思ば真

水に順応したのかな。昔 餌屋さんでゴカイを買う時『2杯ちょうだい小さ

な上げ底の升にゴカイを乗せて量る。これを2回乗せて2杯である。カイ

餌を使っていたのは1980年頃までかな。万能餌の青イソメの出現である。

その1980頃の事、見明川の下流域、今で言うと鉄鋼通りから港のあたり

げ釣りをしていると、岸壁の下から声がする『アサリを買わない?』で舟には

アサリの入った網の袋が幾つかあり、網の袋と伊藤博文枚、交渉成

少し小粒だが10kg以上有りそう。釣りを中止して早々に帰宅、お鍋でア

を茹でて身をかき出す。今度は濃厚なアサリ汁に身を入れ佃煮(風)を

大変美味しかった。浦安は貝の町の印象が強く良い思い出である。今で

宅が建ち並び東京のベッドタウン、首都高速湾岸線が通り、海沿いには大き

い公園もありそしてディズニーランド、とても発展した素敵な町である。

 

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