43.記憶と魚拓

回顧録編

 

記憶はその時の状況など印象に残った事を覚えている。でも何時だったかなぁ確か○○㎝?魚拓はその点明確である。随筆『ちょっとの笑いを含みながら思いついた儘に記憶を辿りながら釣行記(自分史)』を書いている。楽しいひと時であるがふと部屋に飾った額縁の魚拓、随筆最初の『達磨さんが転んだ』の舞台、暁埠頭公園(魚拓は13号埋立地)で1988年息子が10歳で24cmの黒鯛(カイズ)を釣った記念に撮ったもの。記憶が蘇って来た。この時期、東京湾で黒鯛の放流が行われ、ここ暁埠頭公園でもカイズが釣れるポイントがありそこで息子が釣り上げた物だ。その時期だったと思うがそこで私は変った魚も釣り上げた。20㎝ほどだったが力強い引きで今までに見た事のない魚。帰って魚類図鑑と睨めっこ、そっくりな魚があった、コショウダイの若魚で2本の暗色斜総走体があり背ビレから尾ビレにかけて斜めに暗色小斑点があった。尾ビレ付近にかけてやや黄色っぽかったが模様は図鑑の写真と全く同じ、デジカメでもあれば撮っていたのに、ただ暖流系の魚が湾奥にはどうも?魚はお腹の中へ。今までの古い魚拓も取り出して眺めていると記憶が蘇って来る。魚拓によると1980年12月30日江東区新木場若州橋で真子鰈2枚を重ねた魚拓で体長33㎝と32.5㎝これは記憶を辿ると夜半に釣り上げた物で明灯3本半のかけ上がり付近の欄干に凹ました缶を紐で縛り竿置きにして2本竿に青イソメをたっぷり付けて魚信を待つ。とても寒い、竿先がゆっくり上下する魚信で合せるとズシッとした重量感、水面まで糸を巻き上げる。橋の上から魚を確認しここからは魚を見ながらゆっくりと糸を手繰り上げて行き橋の中へ。凄いスリル感。鰈を持って鉤を外そうと力が入り白子がズボンにピュー。今までの失敗は水面から上もリールで巻いてきて巻けなくなり鰈が暴れてバラシ。地合いなのか続けてまた魚信、同じようにスリルを味わいながら釣り上げ、その後魚信もなく納竿。気分良く帰宅。この時期こんな場所で夜に数は出ないが良型真子鰈が釣れた良き時代でした。でも今思えば12月30日の夜に誰もいない橋の上で、まあ良くやるよ。ホントに!もう一つは1973年頃に得意先の大旦那から聞いた話で、一度は経験したかった釣りである。話の内容は『おいM、あれは面白かったなあ。江戸前の海で脚立に座って、魚が竿をヒッタクって行くよ。よく引いたなぁ。型もよかった。食いが渋くなると周りに餌を撒いたり食わなくなると合図を送り側に船頭がいて場所を替えてくれる』魚の名はアオギス、干潟等の浅瀬を好み、警戒心が強く船の影などを嫌う。で脚立釣りなのだ。アオギスは東京湾では絶滅。最近の記憶では江東区中川船番所資料館を見学した折に和竿の展示やテレビで昔の古い釣りのビデオを見、その中にアオギスの脚立釣りがあった気がする。それと私が興味を持った資料に【江戸の武士と釣り文化~釣り指南書『何羨録(かせんろく)』の世界~】江戸湾の釣り場干潟(洲)等が乗っていた(気晴らし写真集の最後の写真参照)。この資料館をもう一度詳しくみて見ようかな。昔の資料を調べるのも楽しいかな。

 

 

思えば東京湾で先ほどのアオギスの脚立釣りと言い、私がちょっと前の若い頃は鰈やアイナメが良く釣れた。今は釣れなくなったが。やはり東京湾にとって干潟や洲が残っている事が如何に大切か、カニやヤドカリ、アサリやシジミ等の貝類、ゴカイなども住みつき稚魚も育つ場所でもある。鳥達も来て自然が循環して行くそしてマコモなどの水草も育つ環境。東京湾をそんな海に戻したい。そして子や孫たちの時代に沢山の魚達が戻って来るように願う。 

 

 

思いつくまま書きました駄文を最後までお読みくださいまして感謝です

 

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