35.私にとっての3.11

2011年3月9日から現在進行形

 

3月9日那珂湊・つれたか丸で真子鰈釣りツ抜けして竿頭、気分上々で帰宅3月10日仕事を終えて帰宅TVを見るNHKぶらタモリで東京タワーを放送していた。しさしぶりに東京タワーでも行って見るかで妻と話がまとまる。2011年3月11日午前中早めにタワー下の駐車場に車を入れ大展望台に上る。展望台より高いビルを眺め、昼食を済ませ早々に帰宅、自宅に入って一呼吸、グラグラと揺れ始め長く強い地震、非常用セットを持って部屋の中心部で妻と安全確保、その後息子帰宅、家族全員の無事も確認、建物の壁にひび割れ箇所があるも一安心、TVのスイッチを入れるとそこから見える映像、信じられない後景に涙する。その後福島第1原発の爆発、放射能漏れと続き仕事には行くが気が重い、全体的には自粛ムード。そんな中私がAPCで関わっている週刊つりニュースを駅の売店で購入、電車の座席に座って見ていた。向かいの老夫婦の夫の方が電車から降りかけながら『こんな時によく平気で・・』表紙を見ると子供が笑顔で釣ったイシモチを掲げている。これを見て御立腹と判断、実は私が目を皿の様にして見ていたのは各地の船宿覧の安否情報であった。船体修理や港修復などで心ならずも混雑した人前で誤解を招く行為、家に帰ってからじっくり見ればよかったのにと深く反省した。日を追うごとに感じて来たのは『自粛』ムードで経済が発展しなければ復興にも影響が出て来る。経済の立て直し⇒普段の生活に戻る事。釣りの業界も沈んでいるだろう。営業している船宿も釣り客が余震の心配や自粛で少なくなっているだろう。㈱週刊つりニュースも釣行記事が少なくなっていて大変だろう。よしそろそろ真鮒の乗っ込みも始まる。それと周辺の正直な情報も書こうと決め4月7日(木)霞ケ浦舟子地区のホソへ、竿を出して型は見たがこんな時に釣りをしていて良いのかと言う罪悪感で落ち着かない。気持ちを癒してくれたのは2羽の白鳥です(気晴らし写真集の白鳥参照)早々に納竿 4月26日(火)与田浦川、横堀、高速下のホソへ釣行そこそこに真鮒が釣れほっとするが、こちらの被害がやたら目につく。香取市佐原の町、地盤沈下で家屋に相当の被害があった地区がある。また車で走っていると屋根がブルーシートで覆われている家が多い。与田浦川沿い、道路のひび割れが延々と続く、電信柱が斜めになっている。田んぼのあぜが崩れホソをふさいでいる。途中の道路や橋が通行止めの箇所有り等が目に入って来る。あまりの凄さに私が落ち込み、その旨を記事に書いたつもりが編集部に伝わっていず、2度驚く。そんな訳で月日が立ってくるが、今度は福島第一原発の放射能漏れの影響で福島県を始め隣県などで風評被害が出てきた。放射能の数値的には安全(国の決めた数値では)だが物が売れない。でも放射能は0ではない。これは我が家にも当てはまる。私が常磐の海や東京湾で釣って来た魚を家族の誰も食べない。私はHPで各県の水産物のモニタリングをチェックし数値的には安全、でも放射能は0ではない。強制は出来ないし。そうです。釣って来た魚は全て私一人で食べきっています。もしくはそっくり冷凍です。今まであれ程、皆で美味い美味いと喜んで食べてくれたのに。でも孫には食べてほしくはないし、ホントはお爺ちゃんの魚を食べさせたいんだけれど・・・。当然釣りのペースも段々と狂って来ています。沢山釣らない様に心がけている。でも釣ってしまう自分のサガが恐い。だからと言って魚釣りを止める・・・とんでもない もう少し考える時間を下さい。

 

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