23.東雲ちどりや・七福神会

1984年~1999年頃

 

『浜松町・辰金』が乗合船から仕立船になり白鱚・真子鰈釣りを何処の船宿にするか迷ってた時期に、暁埠頭公園(13号埋立地)でメバル・セイゴ釣りの餌をいつも購入した餌屋が『東雲・ちどりや』でスポーツ新聞や釣り雑誌には名前が乗っていないが歴然と乗合船を出している事がわかり、通う様になる。来る人は皆常連ばかりでそれも名人級の凄腕が揃っていた。私も腕はそこそこと自負していたが皆の腕を認めざるを得ない。彼らも私を仲間として認めてくれた様子。(雇われ)船長のWさんも凄腕で男気のある木場職人この中で和気あいあい、私も揉まれることになる。店に着くと店主やおかみさん、Y○屋さん、Arチャン、Kチャン、Nツァン夫婦Tチャンと集まって来て和気藹藹で話をしている。全員集合するとリヤカーに各自の道具や竿を積み船着き場へ、早く来ていい席の確保はここではない。自然に自分の席が決まっていて、私はいつも左舷胴の間、左舷トモはいつもY○屋さんで沖に着いても泥酔状態でスパンカーロープに背を持たれながらの釣りから始まるが我々が先生と呼ぶ通り三本の竿を上手く操り、気がついたらシャンとした状態で何時の間にか鯊など竿頭になっている。釣り物は季節で白鱚、鰈、鯊、ここに真鯒やイシモチ等が状況により入って来る。船長のWさんが残念ながら病気で永眠。ある時、江戸川区の名船宿にこのメンバーで鯊釣り釣行。私がArチャンの隣へ席を取ろうとすると『こっちへ来るなよ。皆バラバラに入っているだろ、名人が2人並ぶと魚を釣りきってしまうから、おいら達が別の船宿へいけば皆竿頭の腕だからな』実際に釣り終わって見ればメンバーが釣った数が他の釣り客の数を圧倒した。私の隣の釣り人も私の釣るペースを見てお上手ですねと言っていた。木場職人のTチャンとAチャンが船長で乗る事になった。それとY○屋さんが来なくなるが他のメンバーは変わらない。そこで私がメンバーの会の名前を付けた『ちどりや・お笑い七福神会』メンバーはAr・K・N夫婦・T船長・店主・M(私)の7名から始まる。Arチャンのお兄ちゃん・やSさん・Tkのおじさん等と和気藹藹、船を下り、帰る時の挨拶が『じゃあ、また来週』と毎週のように釣行が続いて行く。春が来るといよいよマゴチ狙いのキス釣り富津~大貫でメゴチやキスを餌に釣り、私の席の胴の間でもマゴチ狙いの竿を3本並べての釣りで3本全てに魚信が来て慌てる事も有り実に釣りが楽しい。また店主からアナゴ漁に出てアナゴが獲れたから取りに来ての連絡で、綺麗に背開きした丸々と太ったアナゴが10本、他のメンバーにも同様の連絡をしたとの事。そんな親しみやすいちどりやの店主が船着き場で倒れて永眠した。真子鰈の時期になると皆が夢中になる。タイムリー釣りで羽田沖や横浜沖で40cm級の良型が上がっていた。私にとっては仲間と同じ魚を狙い、釣り続けた中身の濃い15年でしたが船着き場がある通称16万坪が東京都の埋め立て地となり、船着き場が消滅、餌屋さんとしてのちどりやさんも東京都の土地であり店終いとあいなった。私にとってはお世話になった皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

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