24.鹿島港・清栄丸の夜イカ釣り

1998年~2003年頃の話

 

ある釣り雑誌に鹿島港・清栄丸の夜スルメイカ釣りの記事が載っていて電話確認と予約を入れた。その当時イカ竿も電動リールも持っていず。船長にじかに竿先の調子を見てもらい、竿掛けとカウンター付きのリールを使用、その他は点滅式の水中ライトと5本角のイカ仕掛けを購入、船は2艘でもう1艘は大船長とその弟さんが中乗り、夕方の5時頃出船でそこそこに走りパラシュートアンカーで流しっぱなし、暗くなってきたら漁火のライトが点灯し船と周りの海だけが明るい。その内に海の水がブツブツし(たぶんプランクトンが集まって)小魚が泳ぎまわり、その外をシイラが悠然と泳ぎ回る。とても幻想的な風景の中スルメイカが釣れ始まりタナが50mから30m、20mと浅くなる。慣れないイカ角をさばき右往左往しながらただ夢中に釣りまくり午後12時の納竿。イカ釣り初めての私は53杯で小さなクーラーに氷を入れて満杯、他のベテランは軽く束を越えている模様。下船後常連のMさんに案内してもらい船長宅へ、イカ飯を御馳走になり、はなれの部屋に私一人泊る(宿泊無料)翌朝の午前中に帰宅。次回には沖漬けのタレを用意して釣行、この日は1杯しか釣れず。こんな日もあるんだと納得、夜イカは満月が一番良くない。夜空が明るすぎ漁火が利かない為(新月は良いらしい)。その後は電動リールを買い、30Lのクーラーもそろえる。(最初50Lを用意したらイカを入れたら持てないので)この後は紫イカになり3本角仕掛けで大船長に乗る事も多くなりスジイカも結構混ざり気さくな中乗りの弟さんにも色々と教わった。初の紫イカは80杯にスジイカもいて大きいクーラーでも入りきらないし持てないので小さなクーラーへも小分けした。帰港後はいつも宿泊して帰る事にしていた。理由は居眠り運転と、早く着き過ぎ妻を起こす事になる為。それと疲れが取れるので。よく年はそれをいい事に朝6時出発、水郷地帯のホソで真鮒釣り遅い昼食を取り漁港へ、当時は清栄丸の船着き場前の駐車は2台だけ(後は離れの駐車場へ)早めの駐車場入りでゆっくり一休み、夜イカ釣りが終わって宿泊、翌朝には牛丼屋で朝食を済ませ、また水郷地帯のホソで真鮒を釣り早めの帰宅の釣行スタイルになる。ある時の昼食、道に迷いながら手打ちの蕎麦屋を発見、蕎麦が実に美味い。饂飩もあり序でに饂飩も食べたがこれも美味い。次の釣行時もここで食べたいと2時間ほど場所を探すも分からずじまい。ちゃんと目印等をメモしておくべきと反省。船長の船が綺麗で大きくなったが、その船での紫イカ釣りで角をシャクッていると誰かとオマツリ?船長が通りかかり『ちょっと貸してごらん、誰かマツってない?』すぐ外れたが、そく船長室へ『サメがいるからイカがかかったらさっさと上げて、サメに食われるから』サメかよと思いながら船縁から仕掛けを入れようとしたら2mはゆうに有りそうなサメが船影から悠々と、私は腰が引けて座り込む。船長はデカイ鉤にイカをぶら下げたロープを持ち『サメは何処だ』船長は釣る気でいる『サメを釣ってどうするの』サメをかけ頭を叩いて放すと他のサメが集まって共食いをする。その間に船が離れて行くとの事・・・なるほど。帰港後は船長宅の近くに一軒屋があり今度はそこに泊れる事になった。30人ほどがゆうに泊れるほどの部屋があり布団が置いてある。当然無料であり、大きなリッカーのボトルに小銭が入っておりいつも心付けを入れ、湯を沸かし持参のカップラーメンをすすり床に着く。一人の時が多く心細い。ある時、船から上がり宿泊先の一軒屋の庭に車が止まっている。私が玄関のドアを開けると話声がピタッと止まる。若者の何人かが話をしていた。挨拶をして話を聞くと明朝、仕立で青物のジギングだそうだ。彼らはとてもさわやかな青年だなあと思いながらカップラーメンをすすり床に着く。明朝話声で目がさめ、寝ボケまなこでトイレへ。廊下を通りながらチラッと目に入った後ろ姿にドキッそのまま寝床に入り、彼らが外の庭に出て居るのをこっそりと窓からのぞく。外には黒ベンツに黒のワゴン車。20人ほどの若者の中にリーダー格が指揮を取って居る。全ての若者の背中には入れ墨が、彫られている。中には彫る途中の青年もいて、こんなに大勢さんの背中は見たこともなくただ驚き、布団の中へ。次回の釣行時に船長にその話をすると『うんテキヤさん(縁日等の夜店をしきる)の方たちで皆気持ちいい人達だよ。たまに乗るよ』とケロッと答えた。 

 

2006年~2008年頃の話

 

誠実で大らかな船長が気に入り、毎年イカの時期が来ると通い続けたが途中から忙しくて2日続けて休みの日が取れず。久しぶりに行くと船長はお亡くなりになり、大船長も体が不自由の様で船をおり、美人の妹さんが店をしきり親戚の島津船長と温和そうな佐藤船長で操舵、船も大きくなり高速で大きな波も切って進み快適、船着き場も広い所に移動、イシガレイ釣りにも通う様になった沖上がり時には大船長の弟さんがイシカレイの石を取ってくれ生き締めのサービスをしてくれた。その後もイシガレイやイカ釣りと楽しんだが早めの定年で職を変え、土、日、祝日とまた続けて休めなくなり釣行出来なくなり今現在も御無沙汰中です。 

 

初めて買った電動リール

釣りで高額の物はほとんど買った事が無かったが、前から電動リールがほしい。妻にカードで買ってもいいか交渉。毎月のお小使いから1万円ずつ引く事で話がまとまり、量販店へダイワ・スーパータナコンS 500 ¥39,800‐+PE4号300m+バッテリー=¥56,000-?だったと思う。約束通り毎月のお小使いから1万円ずつ引かれ私も意識散漫になっていた。6回目も1万円引かれ気がつくのが遅れたが妻にクレーム『ああ、あれね、利息分よ』と軽くかわされた。もし同じような方がいらしたらお気をつけて。時が立ち今の電動リールは大き過ぎるのでもう1台と『洗える電動リール』のキャッチフレーズに負けダイワ・スーパータナコンS 500DXを¥34,000-で購入、当時の電動リールの中では格安だったからか、この電動リール紫イカを3杯乗せるとうーうーうなって今一力が無い様にも感じられ、今はもう古い気がするも愛用している。そしてどんどん新しい機種が出て来ているそしてついに私のほしい画期的な電動リールが出ました。

 

ダイワ シーボーグ 300 MJL 電動巻きは真ん中で手巻きは左ハンドル
    シーボーグ150 JL も同様で電動巻きは真ん中で手巻きは左ハンドル
問題は価格です。私には手が届きません。もう少しの我慢です。
  

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