21.杉並区和田堀公園内釣り堀『武蔵野園』

1982年頃の話

 

ちょうど桜の花が咲く時期、仕事も一段落、食事でもと車を走らせ和田堀公園内で目に止ったのが武蔵野園と言う看板でヘラ鮒、大鯉、小鯉、金魚と釣り物が各種ある釣り堀、中に入って様子を見る。店内も広く軽食喫茶が有り私はカウンターでラーメンを食べコーヒーを飲みながらカウンター越しに店主と話をする。『旦那さん釣りはするの』『釣り大好き』『ちょっとやって行く』『じゃーちょっとね』で小鯉釣りが入れ食い。あきて金魚釣り場へ1時間釣りをする。この地区を廻る時は必ず昼食がてら今度は大鯉釣りとちょっとの間、気晴らしに汗をかく、やはりヘラ鮒釣りが魅力だが道具がない。店主は受付でその気持ちを察したのか、頭上の棚から取り出しこれ貸すから奥の広い池でやってみる?とヘラ竿1式、ヘラウキ仕掛け付き、2つ返事で竿を握っている。そんな訳でその後は釣りをしたりしなかったり、カウンターでコーヒーを飲みながら店主とお喋りをするのが楽しみになっていました。正月も開けた頃いつものようにカウンターで店主がすみにいる男の子2人を指して『向こうが家の倅、隣が貴乃花の息子でこの間、倅が大関の家に遊びに行ってお年玉を沢山貰った』と得意そう、かわいい小学生を見て『ヘエー』とうなずく。今思えばたぶんお兄ちゃんの方だった気がするがいずれにしてもその後は兄弟とも父と子ではなく親方と弟子の関係になり、厳しい稽古に耐え精進し両方とも立派な横綱になった。たいしたものだと感心する。余談ですがちなみに私は当時安芸の島関の大フャンでした。またある時店主と野球の話になりました。私も学生の頃少しかじっていましたので興味があり、店主の話に吸い込まれて行きました。特に高校野球には並々ならぬ情熱を持っていて自分の息子をリトルリーグに通わせるほどの熱心さでした。『早稲田実業に入って甲子園に行くのが夢』『何故早稲田実業なの』と聞き返すと店主も高校球児で東京大会で早稲田実業にくしくも敗れた。その時のピッチャーの球がとても早くて打てなかったそうです。その時のピッチャーの名は『王貞治』。夏は夜釣り(ナイター)もあり照明施設も揃っている。ある時の夕方に店主が『ちょっと見て行く』『うん』釣り堀と釣り堀の境の中央付近にネットをはり何やら準備をしています。バッティングマシンが備え付けられ、山盛りに積まれた硬球のバケツが3つ、息子さんがヘルメットをかぶり金属バットを持って中へバッティング練習が始まった。父親である店主がマシンの後ろでボール操作、私に『ちょっと打ってみる』ゲージの中へ、わりと至近距離で中々芯に当たらないが店主から『やっぱり野球をやっていたね』その後は親子でぴったり息を合わせてバッティング練習、バッティングマシンがあるのも驚きだが、目標に向かって進んで行く親子、とてもほほえましく感じた。大分月日が流れたある日ぶらりと武蔵野園に顔を出すと少年だった息子さんは立派に成人しており、後を継いでお店で焼きそばを作っていた。その当時の話をすると店主が出て来た。髪の毛は少し白くなったが昔と変わらない『で甲子園はどうなったの』と聞くと『早稲田実業ではなかったが国学院久我山に入り甲子園に出場し活躍した。テレビでも親子鷹として取り上げられた』と目を細めて嬉しそうに語っていた。夢がかなって本当に良かった。 

 

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