10.働き始めてからの釣り

1972年~1973年の話
【㈱T編】

 

釣りを教わった父と中学、高校、大学と回数は減っていましたが海や川へと釣行を重ねていました。㈱Tと言うブロイラーの問屋に就職、朝から夜遅くまで仕事が忙しく、休みは疲れて釣りをする暇がありません。ある時、得意先と会社の釣り好きが集まっての親睦鮒釣大会があり、もちろん参加。皆はシモリウキの真鮒仕掛けでの釣り、私は機場近くの大場所でのヘラ仕掛け、2本鉤に赤虫つけての釣りを通した。後日その姿を見ていた運輸部M部長と先輩のKさん『お前ヘラをやるのか』『はい、父に教わって』『今度有休を使って3泊4日の釣りに行くが一緒に行くか』二つ返事でお願いしました。

 

石川県片山津の乗っ込みベラ釣り3泊4日

以前に現地に釣行、尺ベラの入れ食いを味わっている。地元の釣り師でヘラ仕掛けの釣りをする人はおらず、棒ウキに赤虫で釣っていたが、好調な我々の釣姿を見て翌年行ったら、ヘラ釣りスタイルになっていて驚いた。と言うわくわくする話をM部長から聞きながら夜の東名高速を片山津に向けて快調に走り抜けて行く。車は黒のセドリック、運転はM部長、助手席にKさん(多分交代で運転していると思う)私はいつもは会長が座る後部座席で気持ち良く仮眠いや快眠です。翌朝未明に現地到着、夜が明け肌寒い中、釣り開始何投か餌打ちしているといきなりモジリもなく『ツッツッツー』で合わせると大きくはないが初ベラその後も確りした『ツン』で入れ食い。のんびりしていると一家で来てしまうが型が7、8寸と今一、後ろの方で『君たち、逃がしてやるからもっと大きなお兄さんやお姉さんを連れてらっしゃい』とボヤキ節、私は野釣りでこんなには数釣れないし、まして釣り堀でもこんなハイペースでは釣れない。それに魚信は明確でヘラ鮒がとても綺麗である。夢中で釣り続け魚籠がいっぱいで開け変え、また釣り続け1日が終わる。旅館に帰って風呂に入り美味しい夕食、睡眠、餌を振り込みウキが立ち『モジモジ』『ツン』でピタッと合わせる。これ夢の中の出来事。眠い中早朝起こされて違う釣り場へ、ポイントも多数あり、より型のよさそうな処を探しながらの釣りだが今日も同型を釣りまくる。寝ても覚めてもヘラウキが動き手が反応している。幸せで苦痛の日々でした。

 

 

【検証】石川県片山津の乗っ込みベラ釣り3泊4日について

2014年3月29日上野で㈱TのOB会が開催され運輸部M部長にお会い出来て当時の様子や場所等を詳しく聞く事が出来ました。

                                   

M部長談:『東名高速は養老の滝の1つ先で降りた。確かイブキ山(豊臣秀吉が最初に持った城)の前を通って片山津方面へ行った』釣り場の話を聞くと『片山津と言っても温泉街ではなく実際はそこから少し離れた釣り場でキバガタ(湖)とその周辺の用水路で釣りをした。宿泊はJR粟津駅前の小さな旅館で駅の裏には小松製作所の大きな会社があった』

 

聞いた話を地図と照らしあわせて検証してみました。

東名高速から名神高速へ入り養老の滝の1つ先で降りた(関ヶ原IC)確か伊吹山のすそのを通り豊臣秀吉が最初に持った城(長浜城跡)の前を通過し国道365号線もしくは8号線を金沢方面に向って進み加賀市片山津に到着。と言っても片山津の柴山潟で釣りをしたのではなく実際には少し離れた釣り場、木場潟(湖)とその周辺の用水路でヘラブナ釣りをした。また宿泊先はJR粟津駅前の小さな旅館に宿泊しそこから釣り場に出かけた。駅の裏には小松製作所粟津工場がある。その当時の釣り場の雰囲気は何となく記憶に残っている。機会があれば再度乗っ込みの時期に釣行してみたいな。今はとても楽しい思い出として記憶に残っています。

 

 

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