9.恵林寺、鐘突き堂横の防火用水のハヤ釣り

1961年頃からの話
【少年編】

 

冬休みは川では油鮠が釣れない。近くの乾徳山恵林寺には大きなお寺なのか直径10m

?ほどの防火用水が2つもある。深さも3m?ほどあったか下に落ち葉が沈んでおり、丸々と太った鮠が釣れる。時間は朝か夕方が良い。餌は東京から持参したサシを付ける。いつも釣っている防火用水は墓地の入り口近くにあり、誰でも近くを通行出来る場所でボチボチとは釣れているが、もう一つの防火用水の方が良く釣れ型も大きいらしい?少年は早起きしてもう一つの防火用水へ向かう。鐘突き堂の裏の壊れた板塀の隙間から境内へ。有りました防火用水が。薄っすらと水面が凍っていて木の棒でツッツキ氷を壊し、釣り開始、棒ウキが『チョンチョングー』早々に丸々とした鮠が釣れその後も順調で夢中になって釣っていると近くの廊下をお坊さんが通りがかり『こらっ、そこで釣っちゃいかん』慌てて竿を持ち壊れた板塀の外へ退散。やはり敷地の中なのがいけないのかな。と思いながら翌朝も薄暗い内から『そおーっ』と板塀の隙間へ・・・今現在の恵林寺は立派な宝物殿等も出来、観光地としてもとてもにぎわっています。境内の防火用水が今どの辺にあったかはもう記憶に有りません。 

 

《余談な話》
父も私も息子も東京生まれですがルーツ(家系図)をたどれば息子迄、全て甲州の血が流れています。これは驚きです。
  

盆地で囲まれた山梨県人は人と人とのつながりに独特のものを持っていると強く感じます。それと例えば昔の武将を言う時にただ織田信長とか徳川家康とか言いますが山梨県人(特に昔の人)は私も含めて(武田)信玄公と言う言い方をします。敬って決して呼びすてにはしません。

 

                                

鐘突き堂横の防火用水 その後                            2016年9月吉日 

少年時代 乾徳山恵林寺の二つの防火用水で冬の油鮠釣りをしました。もう半世紀

以上も前の懐かしく楽しい思い出。今回、墓参りの一つでもある恵林寺に行く機会

が出来ました。境内には鐘突き堂があり隣に武田信玄公宝物館そしてその先にお手

洗い。何気なく奥の方を見ると長方形の防火用水が有りました。外の道との隙間の

壊れた板塀が今はブロック塀、当時は宝物館はなく木が生い茂っていたのでしょうか。防火用水は浅くなっていて昔の面影はありません。それと墓地側にあったもう

一つの防火用水は危険なのか表面に網が掛かっています。少年時代に見たおぼろげ

な記憶と今とでは中々一致しませんが懐かしく感じています。