16.Choさんと石鯛釣り、口が動いている

1979年~1982年の話

 

中途採用でK薬(製薬メーカー)に入社、諸先輩方の中に石鯛師ChoさんとOさんがいた。当然釣りの話になるが小物専門の私とはスケールが違う。ホームグランドは伊豆七島、特に式根島と利島がメインで『今度一緒に行くか』で『よろしくお願いします』で決まり。その前に実際にリールを投げられるかの予行演習兼テストで近場の勝浦へと言っても車を降りて小山を1つ越え地磯に出た。持参した両軸リール(道糸20号を巻いた)を見てもらう。良しで貸し竿の石鯛竿にセット仕掛けはワイヤー38番に石鯛鉤、すて糸に30号オモリの関東式仕掛け、餌のサザエは途中の店で小粒を選んで確か3kgほど購入、釣り開始で振りかぶって前方に投げる。大事なことはバックラッシュを起こさないように、オモリが着水と同時にベールを止めサミングしながら糸を緩める。(オモリが空中を飛んで行く時のベールの回転は速く、着水と同時に水圧でオモリはゆっくり沈むがベールは高回転の儘なのでバックラッシュを起し糸がグチャグチャになりほぐすのに時間がかかり釣りにならない)その他にはピトンを打って竿を固定する。カナズチでサザエの殻を上手く割る。魚信と合わせ方は口答で教わる。一連の動作はほぼ出来る様になり合格。気を良くして投入を繰り返すも、肝心の石鯛からのシグナル、魚信が無い。そんな折り後輩は後ろ向きで。海にあるスカリからサザエを3個ほど取りだしカナズチで殻を割り餌付けをしているとおもむろに先輩が『おい口が動いているぞ、共食いしてもしょうがないだろ、石鯛を釣ろうぜ』笑い声で、後輩は口をモゴモゴしながら『ごもっともです。すいません』ばれてしまった。2つほど鉤につけ1つは海水でサッと洗い口の中へ活サザエはコリコリして美味い。その後日陰で昼食を取っていると竿がしめ込まれ駆けつけたが石鯛らしき魚信はこれ一回のみで残ったサザエを頂き帰宅後食したがそれほど美味く感じなかった。あの環境とスリルが美味の元かな?

 

利島編

 
ChoさんOさん私の3人で竹芝桟橋へChoさんのイデタチは頭にタオルを巻きしょい籠を担ぎライフジャケットを巻き付けた石鯛竿を肩に掛け石物釣り師スタイルでカッコいい、それに比べて私は帽子をかぶりクーラーとカバンを担ぎ磯竿1本を持ちさまにならない。朝、利島沖に着きチャカが迎えに来て堤防へチャカはクレーンで陸の奥へしまった。ポイントは堤防の中間点で垂直に投げ魚信を待つ。水温が高いので私は鉤を小さくし石垣狙いでゴツン、ゴツンと魚信はあるが釣れない。途中でOさんとコマセを足元に撒きメジナ狙いに変更、Choサンは石物1本で粘りついに本魚信、体全体で合わせ魚をかけた。私には結構な手応えに見えたが本人は『小さい小さい三番叟(さんばそう)』と言って縞のはっきりした40cm級の石鯛を抜き上げたがその場でリリース。

 

 式根島編


3人でホームグランドの式根島へ港に着くなり離れ磯に渡船予定だがChoさんたちが誰かと話しをし軽トラに必要以外の荷物を積み運転(私は荷台に)『母ちゃん来たよ』と今日の泊まる民宿へ上がり込み荷物を置き港へ車を返し、磯へ渡る。ちなみに先輩たちは島民のほとんどの人を知っていてあの人は学校の先生、あの人は郵便屋さん等先ほどの一件も顔見知りに車を借りたのだなと。渡船で離れ磯に渡るも残念ながら石鯛は不発、夜に堤防でボチボチ釣れている赤烏賊(剣先烏賊)を狙う事になった。サーフライト(電気ウキ)に餌付き烏賊角を付けて投げる電気ウキがゆっくりと沈んで行き大きく合わせる。後はただ巻くだけ、と言っても水面から抜き上げ中に堤防の縁に当て2回も続けてバラシ結局3杯手中それと夕食が御馳走で特に鯛の様な白身の魚の刺身がとても美味。『市場に新鮮なトビが入っているけど持って行く?』『いくら』『1本100円』Choさん20本Oさん10本私も流れで10本』と注文、今食べた美味な魚で話を聞くと東京出荷でほとんどが料亭行きでスーパーには出回らない高級魚との事。見てみたらトビウオの大きいもの(45~50cm)で鮮やかな青色、結局クーラーの中は赤烏賊3杯とトビウオ10本で氷も入れると結構な重さ。やっとの思いで帰宅。田舎の叔父叔母と従弟が遊びに来ていて母と妻が料理の準備中、私が早速赤烏賊の刺身、次にトビウオを下処理し3本ほど刺身で出すと。こんな美味い烏賊は食べた事がない。次がこの魚は鯛?実に美味い。喜んで貰ってつい々得意顔になりふとテーブルを見ると皿が空っぽ、赤烏賊の刺身が楽しみだったのに残念。石鯛竿を2本買い揃えたが島へ行く機会が少なくなった。社内でChoさんとOさんの話に耳を傾けると東京湾で真ダコが釣れている。釣った真ダコは絶品で実に美味かった。これを食べたらスーパーのタコなんて・・。私も食べてみたいと近くの船宿を調べたら浦安の吉久。これをきっかけに『浦安・吉久』に通い続ける事になる。

 

 

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