11.Aさんと渓流釣りで滑り台

1974年~1975年の話
㈱T郡山(営)編

 

鶏肉問屋㈱Tで営業として一通りの仕事を覚え会社から郡山(営)勤務を命ずの辞令を貰い独り身で引越は布団1式ミカン箱5つ配送帰りの長距離トラックに積み、後は体一つで移動、社宅扱いの新しいアパートは田んぼの中の6畳2間DK風呂付きの広い部屋で辞令内容は(福島県は浜通り、中通り、会津通りと分けられ)得意先のない会津方面を開拓せよ(喜多方市にスーパー1軒有り)とのこと。2t車で2日に1度、中山峠を越え猪苗代町、塩川町、喜多方市、会津若松市と飛び込みの見込み販売最初は苦戦するが本社の上司Kさんからヒントを貰い徐々に得意先が増えていった。肝心の釣りの方はヘラブナが釣れる場所を見つけたが、仕事が多忙、自炊生活で休日は休んでいたい。ストレスがたまると仕事前の朝がけで2時間ほど釣りをした。会社は全Nのと畜場の中にありその中のAさんから渓流釣りの誘いを二つ返事で受けた、中学、高校と田舎でヤマメ釣りを経験しているが素人(魚が付いているポイントは判るつもり)夜中に出発し(おそらく山形の山奥)林道を走り車の止まっている所は人が入っているのでと奥へ進み、車の止める場所を見つけ、下へ下へと降りて行く井手達は竿を入れたナップサックに着換え1式をビニール袋に入れ、携帯菓子に水筒、足は滑らない渓流靴、帽子に寒くない地味な格好でベストに小物を入れて、Aさんは私より年上で長身190cm近く、腰には熊避けのジャラジャラを付けている。川に降りてまず玉網を下に置き足の裏で石を引っ繰り返したりとごしごしさせ鬼チョロ等の川虫を採取川は元気よく流れ、落ち込みから白泡え渦を巻き流れの筋、沈み石、流れのゆるい部分境目で渦、ヒラキ(浅瀬へ)、また落ち込み、手前の辺地、流芯近く、対岸、各ポイントを低い姿勢で流しながら釣り上がる。渓相も実に良い。場所によっては大きな石から石へ飛び移って行く。有る場所へ来たらAさんはクリアー。私はどう見ても無理で急斜面を登って迂回、Aさんから『そこは滑りやす』その時私は『アッ』竿を片手に川に向かって滑り台『ザブン』ちょうど岩と岸の間に木の棒が2本あり両脇抱える様な形で流されずに済んだが下半身『つめたぁー』その後もそのまま釣り続けるが型を見た程度。納竿前に服を着替えた。命拾いしたかもね。その後は結婚し妻と休みの日には毎週の様に気分転換と観光がてら出かけました。車にはいつも竿を積んで。私は会津方面の開拓で頑張り2t車が荷で埋まり配送専門をつけた。次は二本松町とか白河市方面の開拓を始めた頃に福岡へ転勤。心残りは喜多方市の奥の山都町付近でヘラブナの好場所が有り竿を出したかった事である。ちょうど今『八重の桜』を放映中の会津弁を聞くと当時お世話になった方々を思い出し胸が熱くなります。私は色んな所を見たり聞いたりしてきましたが、会津弁はとても上品できれいな言葉だったと思っています。 

 

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