8.山梨県笛吹川へ釣友とハヤ釣り

1961年頃からの話
【少年編】


小学校低学年の頃から夏休み、冬休みになると田舎(母の実家)へ行っていた、と言うよりも私一人置いて来られ、叔父夫婦の元で遊びに夢中、夏になると手拭を袋状に糸で縫い上の口も針金の輪っかが通るように糸で縫い、針金を通して輪にし長めの竹竿の先に固定して蝉捕り袋を作り近所に武田信玄公の菩提寺である乾徳山恵林寺(臨済宗妙心寺派)がありその参道の木々等でミンミン蝉、油蝉を沢山捕った。また高学年になると近くを流れる笛吹川(清流)で油鮠釣りにも夢中になった。叔父からの注意事項は危ない所、特に下流の発電所付近では絶対に釣りをしない事。近所の釣友Yちゃんと何時も一緒に釣りをした。私はグラス竿にナイロン糸、Yちゃんは近くの竹藪から手頃な竹を切り、テグスを結んで脈釣り、イデタチは双方とも、麦藁帽子にサンダル、ランニングシャツに海パン。竿と仕掛け、予備の鉤等一式それと釣った魚を入れるドロップ缶(蓋に穴を開け横から針金を通し手で吊るせる様に作ったもの)を持ち。餌は川の中にジャブジャブっと入り大きな石の縁を水中から上の方に手の平をゆっくり這わせて行くと、手の平にピンチョロやカゲチョロ等の川虫が沢山取れ、腕の肩のあたりに張り付け脈釣りをする。河の手前から対岸に向け各ポイントを流しながら上流へと釣り続ける。この全ての流れはYちゃんから見様見真似で全て教わった。各好ポイントもアウンの呼吸で付かず離れずで上流へと釣り進んで行き『へえー、帰らだぁ』と甲州弁で納竿の合図。釣った魚は自宅の池へ放流。これが日課で実に楽しい。またYちゃん家で焼いてもらって食べたトウモロコシは実に美味かった。今でも忘れない。それと毎年、夏休みが終わりに近づくと、山のように宿題が残っていて大変だった事も思い出した。お盆のある日こんなことがありました。いつもの様に2人で釣り上がって行くと急に川の水が濁ってきて少し水かさが増して来た。いやな感じがしたので岸により様子見で高い所へ、後方から父と叔父の声が聞こえてくる。近ずいて来ると切羽詰った顔からほっとした顔に、我々は全然気がつかなったが上流のダムを開ける情報が入り、飛んで来たのだ。中州にいたら大変危険だった。いい教訓として今でも記憶に残っている。 

 

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