6.ヘラブナ釣り《野釣り編》

1961年頃からの話
【少年編】

 

いよいよ釣り堀のヘラ釣りにも慣れた頃と父は判断したのだろう。野釣りのヘラブナ釣り挑戦と相成ったのですが、私にとっては正直、退屈で苦痛の始りでした。まず餌作りが大変でした。(私は見ていただけ)前日にサツマイモを蒸かします。皮をむき、すじをアミで綺麗に濾します。(この状態のイモソフトで上手い)これに小麦粉やサナギ油を少し混ぜた記憶があります。翌朝真っ暗な内から出かけます。エンジン音がうるさいので表通り迄押して行きます。外は寒いし眠い。釣り場は将監川や旧小貝川で水戸街道を走りかなり時間がかかる。釣り場到着、日の出とともに水面に靄がかかりヘラブナのモジリやハネが始まり、モジリやハネが多い場所を選びます。川沿いの草原の中の釣り場所は藻が刈ってあり一人しか入れない。隣の釣り場は10m先にあるといった感じでした。つまり姿も見えない10m先の釣り場に父がおり釣りをしている状態になります。最初は父が私の釣り仕度をする。座る場所を作り竿掛けを土に刺し、グラス竿(丈一から丈三)に仕掛けを付け、タナにウキ調整、玉網や魚籠を用意し練り餌をくれ、自分の釣り場へ行き今度は自分の釣り仕度、『どうだ魚信は有るか』の声だけが聞こえる。朝の内は何とか型を見るもだんだん釣れなくなり孤独の中で釣らなくなる。足元の長靴の側に餌をまき集まったタナゴの動きを見たりザリガニと遊んだり、あまり静かだと釣りをしていないのがバレ怒られた。また天気が良くなり喉も渇くと水筒の水がすぐ無くなり父の言いつけで近所の農家に井戸水を貰いに行く。釣りに着て行く服は汚れても良い格好の服で首に手拭いを巻き父の会社の帽子をかぶり長靴スタイルで『すいません、お水を下さい』おなじ処へ2度も行くのはけっこう恥ずかしい。冷たい井戸水を先に腹一杯飲んでから水筒に入れる。あまり釣れない時は早めに竿を終い帰りに小さな池や小合溜(水元公園)で父が隣にいて釣りをした。話をしながらの釣りで楽しかった。歳と共に慣れ自分で仕度をする。それと当時としては画期的な餌が出た。雪印のマッシュポテトでお湯でこねてそく出来上がり、父は得意そうに『どうだ』私『そんなんで本当に釣れるの?』その後、釣り餌用としてあの有名な赤べら、青べら等が登場するのである。

 

戦争を経験し、簡単に褒めたりしない昔堅気の父がこの当時どんな気持ちで私に本格的に釣りを教えたのか。この文を書きながら色々と思い出し何故か目頭が熱くなりました。この後も特に歳を取ってからの父とは良く釣りに行きました。

 

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