7.ハゼ釣りの極意『ノリとモタレ』と妙技

1961年頃からの話
【少年編】

 

ハゼ釣りは1956年頃からしているが、父からヘラブナ釣りと同時期11歳(小5)の時に中通し鯊竿、脈釣りでの小突き方から聞き合わせ方を釣りの現場で直々に教わった。どうしても小突きが大きくなってしまう。非常に難しかった。デキハゼは食欲旺盛でブルブルが来てから合わせても数釣れるがヒネハゼになるとそうはいかずに逃げられることもある。ブルブルはハゼがゴカイ(当時の餌)を銜え逃げる時のブルブルと理解している。言葉で説明するのが難しいが竿先を下げた状態で小突く、小突きは錘を縦から横、横から縦にわずかに動かす感じかな、その後に聞く動作、竿先を下げた状態のまま、ハリス分だけ竿尻から竿先の順に竿全体を持ち上げる。その時に錘プラスαの重さを感じた時を『モタレ』居食いしている。もうひとつはフッと竿先が下がる『ノリ』ハゼが餌を銜えている。双方のこの状態の時はそのまま聞き上げて来るとブルブルとハゼが自動的に掛かった状態で上がってくる。『聞き合わせ』で釣った、釣り上げたの感覚である。『小突いて聞き上げる』動作には達磨大師の四聖句【不立文字】文字や言葉によって表現できるものでない。実践を通して自分で見つけていくものである。【教化別伝】教えは師から弟子へ直接伝えられるものである。しかしそれは言葉や教科書によるものではなくそれ以外のものによって以心伝心でなされる。に通じるものがある。と《言葉で上手く言い表せないのでこじつけて書きました》この一連の動作《妙技》がスムーズに出来ると。その姿は観ていてとても綺麗で効率的である。この釣り方を父から教わり釣って行く中で段々と上達。秋の彼岸過ぎには、千葉県浦安市の境川にハゼ釣り、満潮から下げ潮を釣り入れ食い状態が続き2時間で双方とも餌切れ2人の釣果合計は4束(百)、帰宅後ハゼをさばくのも私の役目(教わっておりお手の物)、全て天ぷら仕様に開いて処理・・・苦笑

 

父は馴染みの船宿に通って通って、この《妙技》を身につけたのだと思います。ハゼ釣りの大会でも好成績で景品のお鍋などを良く貰ってきました。どんな関係の大会か上位順位表に勤務先の会社名も載るのでいつも張りきっていました。 

 

父から教わったこの『ハゼ釣りの極意』や一連の動作《妙技》は私の財産で海釣りの原点です。

父はマナーにもうるさかったです。釣れてる人の側で釣ってはいけない。先着者優先で間に入る時は『魚信ありますか』から話をし、隙間があれば『隣りに入らして貰ってもいいですか』と隣の釣り人に了承を得る。先に帰る時は『お先に』と声をかける。コマセ釣りでコマセをまかずに側で釣る事は特に『厳禁』でした。 

  

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