3.小学生の頃の時代背景

1957年~1962年頃
【少年編】 

 

北区のこの周辺は中小企業の工場地帯でいわゆる下町、近くの明治通り沿いに中古の機械屋さんがずらりと並んでいた。自宅は一応父の会社の社宅で4軒長屋、隣とは壁一枚で一部始終良く聞こえる。プライバシーもへったくれもない。そんな訳で金持ちではない。道と道の間にはあちらこちらに狭い路地がありちょうど『3丁目の夕日』の舞台の様、長屋の洗濯物の物干し広場は別の場所にあり、ここが近所の子供たちの遊び場で皆が集まって来る。近所には駄菓子屋があり、紙芝居屋さんも来る。いろんな遊び、メンコ、ビー玉、ベーゴマ、等みんな賭けの対象で何時も巻上げられていた。その他に馬跳び、缶蹴り、石飛、ボール紙を弾にした手作鉄砲で戦争ゴッコ(材木の切れ端40cm輪ゴム沢山、釘1本、木製の長四角の洗濯バサミで作成、弾はボール紙(1cm×1cm)その他に自分たちが考えてはやった遊び『コマまわし鬼ごっこ』ルールは簡単コマを手の平の上で回し、回っている間だけ動けるがコマが止まったら動けない。これで鬼ごっこをする。そうコマを手の平の上で回せないと仲間に入れない。ただ小さい子供は出来ないので救済処置として地面で回しボール紙ですくうのもありであるが皆が個々に練習して全員が手の平で回す事が出来た。毎日が楽しかった。ただこの場所に良く私の布団が干してあったのが恥ずかしかった。それと私はこんな子供でした。行商のおばさんYさんが重たい籠を背負って野菜等を売りに来る。我が家が中継所で近所のおばさん達が集まって来る。テーブルには沢庵や胡瓜の漬物や煎餅が並びお茶を飲みながら『ワイワイ、ガヤガヤ』と井戸端会議、そこに私もチョコンと座り、漬物を食べお茶を飲み、話は聞いていないが違和感なく溶け込んでいました。またYさんの持ってくるデコボコのトマトや曲がった胡瓜等、種が確り入っていて今思い出すと味が濃くて美味だった。特にアンコの入った草餅は好物だった。こんな背景の中で子供時代を過ごしました。さあ子供の頃の釣りの題目に入りましょう。 

 

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